8月18日 日ロ友好訪問団 その2
皆さん、こんにちは。
日ロ友好訪問団2日目です。天候は晴れ。朝の気温は20℃を下回ります。
さて、ここウラジオストク市はソ連時代、太平洋艦隊の軍港であったこと等から、外国人はもちろん、ソ連の一般国民でさえ立ち入ることが出来ない閉鎖都市でした。
外国人に開放されたのは1992年のこと。私が前回ソ連を訪ねたのが1991年であり、当時は入ることが許されず、シベリア鉄道も始発であるウラジオストクから乗車することは出来ませんでした。
ウラジオストク市での犯罪認知件数は2013年17,581件。前年比+2,364件と増加傾向にあり、同市を含む沿海地方における犯罪発生率は83連邦構成主体中なんと第2位。1999年及び2002年には在留邦人が殺害される事件も起きています。
治安は決して良いとは言えず、夜の外出は危険とのこと。
夜明けは午前7時過ぎ。夜は危険とのことで、朝食前にホテル周辺を散策してみました。
人口約62.6万人。金角湾と呼ばれる深く入り込んだ天然の良港を中心に広がる坂の多い町で、ヨーロッパ風の建物が並びます。
午前8時45分にホテルを出発し『在ウラジオストク日本領事館』を訪ねました。
ここでは、総領事が不在の為、長谷川 首席領事に対応していただき、当市の概要等について説明していただきました。
当市を含む極東地域共通の大きな課題が『人口流出』。
ソ連時代には施策としてあった、極東地域等遠隔地に居住する者に対する「給与の割増制度」が、ソ連崩壊後には無くなり、それを契機にモスクワ等の大都市や気候のよい地域への人口流出が加速し始め、現在、沿海地方では毎年約1万人規模で人口減が続いているとのこと。
ソ連時代の1980年代から、人口流出を防ぎ経済成長を推進させることを目的に、経済対策の一つとして中古車ビジネスの育成が進んできました。
その後中古車ビジネスは、「ソ連崩壊後に育った最大の産業が日本からの中古車関連ビジネスといわれる」ほど着実に成長し、約60万人の人口のうち約10万人が、輸入販売は勿論、輸送、修理、部品、など何らかの中古車関連ビジネスに従事していたとされ、当市は中古日本車市場の中心となりました。
2008年にはそのピークを迎え、販路は極東地域のみならずウラル山脈を越える勢いにまで成長しました。
しかし、2009年ロシア政府が国内の自動車産業を保護するため、輸入車への関税率を引き上げるにともない、「中古車輸入数は1/20にまで落ち込んだ」とのこと。
また、近年、韓国の中古車がウラジオストクでブームになりかけたことがありましたが、この事がかえって日本車の性能の良さを証明することとなり、今では韓国車人気は収束し、「日本車の需要は持ち直している」とのこと。
「当地域では、日本製品に対する信用はすでに確立されたものとなっており、この意識は日本のビジネスにとっては大きな財産である」とも。
中央政府は極東地域における人口流出を食い止めるために、産業特区を創り外国からの投資を呼び込み経済発展を目指すとともに、若者には無償で土地を与える等、内なる施策も進めています。
まずは経済発展。
「中古車以外にも経済関係を強めたいとの思惑もロシア側には強くあり、多くのロシア人は日本を信頼し協力したがっている」とも。
しかしながら、ロシアのビジネス環境は制度が不透明なうえ、ころころ変わる。さらには汚職等も。
ロシアでビジネスを成功させるには、「よいロシア人パートナーを見つけること」だと。
しかし、この「よい」というのが、単に「人が良い」ということではなく、ロシアの表裏の社会に精通している、所謂「顔が利く」という「人」のことなのです。
午前11時からは、その日本車中古車市場の実態を知るべくロシア最大の日本車中古車市場である『グリーンコーナー』と呼ばれる“丘”を訪ねました。
1991年に開設されたこの広大な屋外市場に、約6,000台の中古日本車が並んでいます。ピーク時には10,000台以上あったようですが、6,000台でも十分圧巻です。
ここでは、主に極東地域からのバイヤーや一般客が、ディーラーを相手に直接売買交渉を行っています。
展示されている車を見ると、“ど中古車”と言うよりは比較的新しいものが多く、新古車も数多い。価格も日本国内とさほど変わりません。
平均月収が約10万円程度と言われる中で、この価格の車が売れ、実際に多くが市内を走っています。さらに、売買は基本、現金払いだと。
この点が摩訶不思議ではありますが、「申告」の真偽を考えざるを得ません。実体経済は如何に。
この地域における可能性のある産業として
・エネルギー輸出産業
・自動車産業
・観光産業
・農業
等があげられます。
午後2時20分からは、その内の一つである『農業』の実態を知るべく「農場エリア」に入り、近郊の小規模畜産農家を訪ねました。
約120haを政府から借り受け、約3haが自己所有のニコライファーム。
ここで約120頭の乳牛等が育てられています。その牛の餌は、生えている草のみとのこと。また、衛生状態は、はっきり言って劣悪。
この事からも想像できるように、生産物の“質”と言うものに対する概念がまだ育っていないような気がします。
ロシア政府は、国内農業の育成に力を入れ、自給率の向上を目指しています。
この農場でも来年には政府からの多大な補助を受け、乳製品の加工場をオープンさせるといいます。
また、この酷寒の地において大規模なハウスでの生鮮野菜の栽培も進めるとも。
農場主のニコライ氏は「ロシアの農業には大きな可能性がある」と胸を張ります。
23年前ソ連を訪ねた時とは比べ物にならないほど、市中には食料品は溢れています。
しかしその多くが中国等からの輸入品です。
可能性は否定しませんが、「道のりは長いのではないか」と、率直な感想です。
午後5時50分発のハズが整備不良のため約30分遅れでウラジオストクを立ち、空路ハバロフスクへ。
1時間程で、23年ぶりのハバロフスク空港に到着し、夕食を終えホテルへ。
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