6月27日 兵庫・沖縄友愛戦後70年記念事業 2日目
皆さん、こんにちは。
昨日に続き那覇の2日目です。
梅雨をとっくに明けた沖縄は、まさに夏本番。
本日も朝から暑かったです。
本日の行程は、夜の「兵庫・沖縄友愛の集い」までは、県民代表団とは別行動。
豊見城市を中心に行政調査を行いました。
では、時系列で・・・
09:00 ホテル発
09:30 豊見城市歴史民俗資料展示室視察
豊見城市生涯学習部文化課の大城課長さんにご説明いただきました。
この資料展示室は、市指定文化財をはじめ市内各地域から収集した資料、埋蔵文化財の発掘調査で出土した遺物や、戦後復興期から本土復帰前後までの生活道具、集落の祭りや行事で使用された道具類等々が展示してあります。
しかしながら、「沖縄戦によって焦土化した沖縄には何も残っていない」と言われる中では、展示物の大半が“戦争”にまつわるものでした。
また、豊見城市では、戦争体験者が高齢化する中で、いかに沖縄戦を後世に伝えていくかとの課題に対し、「人(体験者)」から「モノ(戦争遺跡等)」へに力を入れられています。
戦跡を調査し保護をすすめ、その重要性を広く市民に理解してもらう取組もされています。
ご説明いただいた大城課長さんが、ふと私達に「兵庫も神戸や姫路は空襲もあったと思いますが、県内の戦跡はどれぐらい残っていますか?」と、尋ねられました。
恥ずかしながら誰も正確には応えられませんでした。改めて意識の違いを実感し、“気付き”を得た感がありました。
「地域のあゆみを軸としながら本市の歴史と文化を紹介し、改めて地域を見つめ直す場となることを目指す」とされ、小中学校による総合的な学習の時間などで利用もされているようです。
ここで気にとまったのが、資料「豊見城市史だより 第12号」。
読んでいますと、その中に廃藩置県に係る文章に以下のような行がありました。
【(略)「唐ぬ世から大和ぬ世」と言われたように、親国とも仰ぐ中国との絆を断ち切られ、社会の仕組み全体を解体して新しく「沖縄県」を創設しようという時代であった。(略)」
「絆を断ち切られ」という表現に、“沖縄の人の思い”が、現在でも潜在的にあるのかとの感想を持った次第です。
10:30 道の駅「豊崎」にて 宜保晴毅 豊見城市長と意見交換
豊見城(とみぐすく)市は、那覇空港及び那覇市に隣接する人口5万8千人余りを擁する都市。
都市との表現は、H23年発行の市政要覧にあるもので、まだまだ発展の可能性を秘めた成長著しい様子がこの表現で窺い知れます。
昭和47年の本土復帰を境にした他地域からの人口流入や商工業の発展にともない、平成14年には、人口日本一の「村」から「町」を飛び越え一気に「市」に昇格しました。
市長曰く
「市長就任以来、小学校が2校増えた。少子化とは今のところ縁がない」
「成長率が3年連続日本一を達成したことも。ここ10年余り、常にtop10に入っている」
「今、沖縄県は景気も良くバブルではないかと思うほど」
と羨ましい限り。
しかし、ここに行き着くまでの道程は決して平坦ではなかったようです。
「15年前には、市の財政調整基金が400万円しかなかった」とも。
また、「米軍も自衛隊もないので、沖縄の他の地域よりは不利であった」とも。
では何が今の成長をもたらしたのか?
「畑であった中心市街地の区画整備(那覇のベッドタウンとして)が成功した」
「国際物流拠点産業集積地域(国際物流特区)の指定を受けられた」
「市民の平均年齢が38.12歳と若く、活力がある」
等々。
農業についても伺いました。
「マンゴーの里宣言を行い、マンゴーやトマト等の特産品栽培に力を入れている」
「高収入の農家も多く、担い手も育っている」
「5年前に比べ、耕作放棄地も5%減っている」
驚いたのは観光についてお伺いした時の最初の発言。
「平成22年、初当選した時には観光の『か』の字もないほどの状況であった」
と。
沖縄といえば真っ先に思い浮かぶ観光産業にあって、豊見城市に観光協会が設立されたのが平成24年とのこと。
『豊崎美らSUNビーチ』のオープンをはじめ、ここ数年、観光にもかなりの力を入れられており、沖縄文化を集約する複合施設やホテル建設等のビッグプロジェクト『瀬長島ウミカジテラス』の整備も進んでいます。
この長瀬島は、戦後長らく無人島であり、「不法投棄等の処理に年間500万円を使っていたが、数々の整備も進み、今は年間5000万円を生む島になった」とのこと。
温泉施設のオープンも間近に控え、さらなる増収も期待できます。
最後にリーダー像についてお伺いしたところ
「出来ない理由でなしに、出来る方法を職員と一緒になって考える。兎に角、職員と一丸となる、一緒になってやることが大切」
と。
市のHPには、
【若さと行動力、そして常に市民本位を念頭におきつつ、「住んでよかった、住んでみたいナンバーワンのまち」づくりに向け、全力を尽くして市政運営に取組んでまいる所存です 】
と。
現在2期目の宜保晴毅 市長 47歳。
休日にも関わらず、市長はじめ職員さんには、懇切丁寧な対応をしていただきました。
お陰様で、かなり刺激を受ける、また、参考となる意見交換ができました。
心から感謝申し上げます。
『都市と自然が織りなす成長力 伸びゆくまち 豊見城』、まだまだ右肩上がりの成長が続く様です。
13:30 マンゴー栽培農家視察
豊見城市でのマンゴー栽培は、昭和50年代ごろ数名の生産者から始まりました。
今では、年収1,000万円を超える生産者も多いと聞きます。
担い手対策をお伺いしたところ
「親の儲けている姿を見せればよい」
と即答いただきました。
御尤もです。
JA沖縄の仲村 果樹指導課長さんによると、「豊見城市のマンゴー出荷の特徴として、JAに集中させているところにある」とのこと。
県や市の助成を活用しハウス等の施設整備の充実を図り、また、マンゴーの種類も工夫しながら、出荷時期を出来るだけ長くする取組もされています。
豊見城市のマンゴー栽培は、交流会や勉強会等の開催をはじめ生産者が常に品質向上を目指し、また、空港に近い等の地の利を活かした販売戦略等、生産・販売・また加工も含め、特産品をうまく活用し“儲かる農業”のサイクルを確立されています。
15:00 豊見城市中央公民館にて、戦争語り部 講話
語り部 上江洲 清 氏 昭和14年、テニアン島生。
幼少の頃の海上戦と沖縄戦での体験をお話しいただきました。
16:30 忠孝酒造(株)にて地場産業取組視察
ここの特徴は、「泡盛の熟成容器としての酒甕」を自社で土づくりから行っている点。業界初の自社製手造り「忠孝南蛮荒焼」を誕生させています。
「沖縄の古酒は泡盛文化を代表する」と言われるそうですが、戦火で一時期衰退してしまったその文化の復活に掛ける意気込みと、その意味が蔵全体から伝わってきました。
18:00 『兵庫・沖縄友愛の集い』
県民代表団と合流し『兵庫・沖縄友愛の集い』に出席。
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