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5月31日 更生保護女性会篠山支部総会にて | 小西隆紀(こにしたかのり)兵庫県議会議員 公式サイト
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活動報告ブログ - 2016年5月

2016年05月31日(火)

5月31日 更生保護女性会篠山支部総会にて

皆さん、こんにちは。

 今朝は、久しぶりに朝runを。
 11.05kmを 1時間15分で。消費は735kcalを。

 さて、本日は「平成28年度篠山地区更生保護女性会篠山支部」の総会に出席させて頂きました。

 地区更女総会には出席させて頂くこともありますが、支部総会は今回が初めて。

 更生保護女性会とは・・・
 【女性の立場・母の立場から地域の犯罪予防と犯罪者や非行少年の更生保護・青少年健全育成並びに不良化防止に協力し、犯罪のない明るい社会を実現しようとする女性ボランティア団体】
 です。
 また、篠山市から子育て推進団体として委託を受け各校区で子育て支援活動も行っておられます。

 篠山地区、篠山支部と少しややこしいですが、地区は篠山市全体を示し、組織としては地区の下に旧町単位の支部が設けられています。

 で、本日は来賓での出席のみならず、議事終了後の講演も依頼されておりました。
 「時間は、1時間から1時間30分程で」との事でしたが、1時間半も喋れば聞く方も大変ではないかと思い、結局は1時間弱で終わらせて頂きました。(ネタがきれた訳ではありません (^_^;))
 当会が、「更生保護」や「青少年健全育成」等、人づくりを主に活動されている事から「社会の担い手について私が思うこと」と題してお話をさせて頂きました。
 
 「更生」を一文字にすると「甦る」となります。
 一度衰退 したものが、再び盛んになる。

 地方が主役として「甦る」ための根源は、まさに「人づくり」にあります。
 このような視点から平成24年第312回兵庫県議会において、私が一般質問で主張しました質問の一部等を用いて話を進めました。
 その一部を掲載させて頂きます。

 【大正末期から昭和にかけて駐日フランス大使を務めたポール・クローデルは、その在任期間中に関東大震災が発生した際、極度の混乱の中にあっても、身に降りかかった不幸を淡々と受け止め、秩序と礼節を忘れない日本人の姿勢に感銘を受けたと記しています。

 そして、太平洋戦争での日本の敗戦が濃厚となった昭和18年には、「日本は貧しい。しかし、高貴である。世界で一つ、どうしても生き残ってほしい民族を上げるとしたら、それは日本民族だ」と述べたことでも知られています。
 それと同様、東日本大震災発災直後、避難所等での被災者の皆さんの節度ある振る舞いが世界から称賛を受けたのは記憶に新しいところです。時を経てもなお失われず、脈々と受け継がれてきた世界が称賛する日本社会の道徳観、この原点はどこにあるのでしょうか。この原点をしっかりと認識することこそが、これからの社会の担い手育成対策の礎になるのではないかと私は考えます。

 フランスの報道番組では、震災後、なぜ日本人は冷静なのかについて、次のように解説しています。「日本人は悲観的でない運命論者なのです。運命に身を委ねるのです。災害がいかに大きなものでも、日本人の受け答えは実に立派なものです。それは恐らく自然の力を崇拝する神道が教えるところの態度なのでしょう。日本では、人間は自然の一部なのです。云々」と。

 厳しい自然環境や狭い国土の中で、人間が生き残るために有効な制度として自然発生的に生じた日本社会の道徳観。これを守り、継承させるための手段として生まれた日本の伝統文化。ポール・クローデルが存続を望んだのは、単に血の集団としての日本民族ではなく、その道徳観の後継者、担い手集団としての日本人であったのではないでしょうか。これらを踏まえると、この日本社会の道徳観こそが、世界における日本の存在意義の原点ではないかと考えます。

 血縁と地縁はセットで語られることが多く、日本人のアイデンティティーの継承には、この両方が必要であると思われがちですが、果たしてそうでしょうか。血縁は生物としての肉体を形作り、次世代へと継承されるもの、つまり生物としての継続性にゆえんするものに対し、アイデンティティーの核心は心や精神であり、それらは成長の過程で育成されるものです。日本のアイデンティティーの継承とは、地縁の中で育まれる社会性や精神の継続性にこそ、その意味があります。この心のDNAは、血統のみに受け継がれるものではなく、むしろ地縁が伝えていくものであり、言うならば、誰でもが継承でき得るものであります。
 古来、この心のDNAは、集団で行う農作業や村の祭り等々、日々の暮らしの中に溶け込んでいた年中行事の中で自然と継承され、システムとして働いてきました。それとともに、山や川にも神が宿り、また、貧乏神でも神さん、疫病神でも神さんという、やおよろずの世界観の中で、悲観的でない運命論者であるという日本人の精神性も育まれてきました。しかし、戦後、この日本社会の道徳観を形成する日本人の精神的主柱、背骨に関しては、政治行政や公教育の場において、意識して取り上げられることが少なくなりました。

 先程も述べたように、かつて年中行事が、自然とこの日本社会の道徳観を継承させるシステムとして働いていたとするならば、社会の変化に伴い人間関係が希薄になるにつれて、この自動継承システムが働かなくなることを意味します。このままでは、日本人なら分かるはずという当たり前の感覚が通用しなくなることを意味しています。そうであるならば、今こそ、私たち自身がその道徳観を形成する日本人の精神的主柱、背骨をしっかりと認識し、自覚を持って伝えていかなければなりません。

 孫子の兵法に、「敵を知り、己を知れば、百戦危うからずや」とあります。国際化の中で、競争相手を研究することはもちろんですが、その前に、自らを知るということこそが、さらに重要なのです。

 さて、私は、これまでの一般質問において、ほぼ毎回、白い小さい犬が一家の父親を演じる不思議なコマーシャルについて、おかしくないですかという問いかけをしてきました。

 中国大陸や朝鮮半島は、伝統的に血統を重んずる社会です。そのことは、現在でも、韓国の民法809条で、男系血族の配偶者、夫の血族、8親等以内の姻戚間婚姻の禁止を規定していることからも分かります。また、10年程前までは、同姓同本、同じ名字の婚姻も禁止されていました。彼らの社会での夫婦別姓制度は、ここに起因しています。

 血統・血筋を重んじてこそ高度な人間社会であると考える人々から見ると、犬や猫など動物の社会は、血統・血筋などお構いなしである。つまり、血統・血筋を重視しない社会や集団、民族は、まさに犬・猫同様の社会であるとなる訳です。また、こういった社会・集団、民族を指して、韓国朝鮮語には犬の子という表現もある程です。
 振り返って、日本では、姻戚間婚姻が容認されるなど、血統の保持に彼ら程強く固執しないため、この犬のコマーシャルは、まさに日本社会に対する蔑視と自民族優越主義を鼓舞するひそやかなメッセージではないかと勘ぐられても仕方がありません。実際に、ネット上ではそういった観点からの主張も増えつつあります。当初、私もそのような意図があるのではないかと考えておりました。
 しかし、民族間に大きな確執を生む可能性を秘めたメッセージを、あれ程単純に発信するとも思えず、逆に、さらに深い問題提起があるのではないかとも考えるようになりました。

 あの犬の家族の名字は白戸家、犬のお父さんの名前は次郎。我が県出身で、GHQに「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた白洲次郎と、わずか1字違い。この、わざわざ白洲次郎を連想させるようなネーミングも、何の意図もなく偶然に作られたものとは、私には到底思えません。ただし、白洲次郎を知らなければぴんときませんが。

 後日、佐野眞一著「あんぽん 孫正義伝」を読むに至り、この思いは確信に変わりました。孫正義氏の生い立ちを祖父母の代から遡って記したこの著書では、あのコマーシャルについてはほとんど触れられていませんし、私が今述べたような視点からの考察は一切ありません。しかし、この本を読み、改めてこのコマーシャルに向き合ってみると、そこから見えてきたものは、相手のことも、ましてや自分たちのことも全く知ろうとしなくなった日本社会への隠された問題提起ではないかということです。
 つまり、私はあのコマーシャルに込められた本当のメッセージは、同胞に対して、「血統・民族のみに執着して、自己満足の世界におぼれてしまうようでは、いつまでたっても世界から尊敬される存在にはなり得ない」という戒め、日本人に対しては、「血統・民族のみにこだわることなく、寛容の精神を持って、数代にわたり日本社会の中でともに生きてきた我々を心のDNAの継承者として受け入れてほしい」という呼びかけではないだろうかと考えるに至りました。

 日本人を軽蔑するのではなく、むしろ逆に、血統のみこだわることの無意味さを説くとともに、日本人の寛容の精神を称賛し、そして、これからもその高い道徳観を形成する日本人の精神的主柱、背骨を大切に受け継いでいくよう、私たちに伝えようとしているように思えてなりません。
 これはまさしく、これから国際化が進む中での日本の国家のあり方、その存在意義に対する問いかけであるとともに、国家を構成する日本の地域社会のあり方についても、いま一度考えさえられる問題提起ではないでしょうか。

 私は、多くの日本人に、あのコマーシャルを見て、意味も分からず、また、思いを巡らせることもなく、ただただ、あはははと笑っているだけであってはほしくありません。また、表面的な狭い意味だけを捉えて、無意味な対立をしてほしくもありません。

 郡部からの人口流出、それは長い時をその地で生きてきた、いわゆる血統的に純粋な土着民の流出というだけではなく、それとともに、何千年の時をかけて継承してきた日本の伝統的な道徳観の流出でもあります。かつては堅固であった地域社会の弱体化とともに、これまで農村漁村で受け継がれてきた伝統や文化が果たす機能や活力はだんだんと低下し、世界から称賛される日本の背骨は弱まっていくばかりです。

 少子・高齢化が想像を上回る急激なスピードで進展する中、県では21世紀兵庫長期ビジョンを策定し、県民主役、地域主導の理念のもと、行政と地域住民の協働により、地域が抱える課題の解決やめざすべき将来像の実現に向けた取り組みを進めています。そこでは、県民一人一人が自主的かつ主体的に地域を支える担い手となることが期待されますが、伝統的な価値観や文化の自動継承システムが働きにくくなる中で、日本が誇るべき高い道徳観を形成する日本人の精神的主柱、背骨を備えた社会の担い手を育成するために、どのような取り組みがなされているのか、知事にお伺いいたします。】

 少子高齢化の中、一人一人が貴重な人材です。 
 世間は烙印を押すのではなく「新たな気づき」のもとで、甦ってもらう。
 ここに携わる活動は、社会にとって大変大きな意義を持っています。
 今後もしっかりと取り組んで頂きたいと思いますし、併せて私たちもしっかりとその支援に努めます。


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