- 2009年05月21日(木)
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- 「活動報告ブログ」
裁判員制度スタート
皆さん、こんにちは。
本日午前中は、福住校区高齢者大学の籾井学園開講式に出席しました。
午後は、本来なら豊岡市である総会に出席予定でしたが、インフルエンザで中止。お陰と言うのも変ですが、事務所で地元課題の相談を受けることができました。
今日から裁判員制度がスタートしました。国民が「人を裁く」立場になるこの制度。賛否色々あるようで、8割近い人が「裁判員として裁判に参加したくない」と答えたという調査結果もあるようです。自らの下す、責任ある“評”には、自信がないということだと思います。
が、一方では、1億2千万総評論家と言われ、職場で、学校で、家庭で、色々なところで、色々な人が、評論家となっております。総理はもちろん、スーパースターイチローですらその評論の対象です。
しかし、その中で、対象の細部・本質まで知り、自身の経験や学習に基づいて評論できる人は極極極わずかだと思います。大方は、テレビの受け売り。
テレビ報道を見ながら「こいつが犯人や」とか「こんな奴は、死刑やな」と、思ったことはありませんか。報道がすべて正しいとは限りません。この判断基準を「テレビ」に作られるようでは、大問題です。
国民の判断基準は、国によってさまざま。宗教や環境によって大きく違ってくると思います。
我が国の一般的な国民が「人を裁く」基準に用いるであろう物差しは、キリスト教的道徳観・価値観でもなく、イスラム教的道徳観・価値観でもなく、大陸的な道徳観・価値観でもない。
この国の自然環境や、そこから発生する伝統的宗教観が根底にある「道徳観」「価値観」ではないでしょうか。
これらは表面的には、時代や世代により多少の変化はあると思います。しかし、その中心部には揺るぎなき“核心”即ち“魂”があり、この“魂”の伝承こそが、心の安定、人間の安定、地域の安定、国の安定に繋がるのではないでしょうか。これこそ郷育。
「あなたの評決ですべてが確定するわけではありません。自信を持って、あなたの物差しで判断すればいいんです。但、その物差しは、正真正銘あなたのものでなければなりません。」