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活動報告ブログ - 2008年11月

2008年11月21日(金)

総務常任委員会管外調査・佐賀県立九州陶磁文化館

皆さん、今日は。 
 18日(火)から20日(木)まで、管外調査で佐賀県及び大分県に行ってきましたので、報告します。

 18日朝、搭乗までに時間がありましたから、委員会メンバーで喫茶店で時間を潰しておりますと、篠山JCの理事長に偶然会いました。商工会青年部の研修で仙台に行くと言う事でした。
 兵庫県議会議員にはJCのOB、現役が結構います。今回参加議員の中でも、釜谷議長(加古川市)をはじめ、藤田議員(養父市)、伊藤議員(宝塚市)、それに私の4名がいます。それぞれにJC活動をした時代は違いますが、物事に対して共通感を多々感じます。
 そんな偶然を過ごしながら、時間通に飛行機は離陸いたしまして、空路長崎空港へ。更に陸路、佐賀県有田町へ。

 佐賀県立九州陶磁文化館(陶芸文化の振興等)
 佐賀県立九州陶磁文化館は“有田焼の郷”有田町に、備前地方の陶磁器をはじめ、九州各地の陶磁器に関し、その文化遺産の保存と陶芸文化の発展に寄与するため、歴史的・美術的・産業的に重要な資料を収集・保存・展示し、あわせて研究調査や教育普及の活動を行う事を目的として、昭和55年に開館、本年で28年目を迎えています。
 延べ床面積:6,526㎡と兵庫陶芸美術館(6,542㎡)とほぼ同じ。職員数は、県職員10名+4名。来館者数:平成20年4月末累計250万人達成。年間平均7万人前後。予算規模:平成20年度運営費65,668千円(一般財源53,090千円)。
 因みに兵庫陶芸美術館同259,306千円(同199,177千円)。平成17年10月会館から平成20年3月末の来館者累計25万6千人。同18年度11万4千人、同19年度8万4千人。
 兵庫陶芸美術館が開館3年を経過し新たな展開を考えていく上で、相当比較検討出来そうです。
 佐賀県の取組として注目すべきは、陶磁器に関する専門的知識・技術の習得により「窯業界の後継者、技術者となって働く人材の育成」を目的に『佐賀県立有田窯業大学』を設置している点です。4年制と2年制合わせても1学年30名程の定員ですが、学長の14代酒井田柿右衛門さんの様な人間国宝をはじめ、日本を代表する有田の匠から技を学べると言う事と、有田という環境の良さもあって、かなりの人気という事です。
 昭和60年県立の専修学校として発足以来、1,800名を超える卒業生を送り出し、その多くが地元はもちろん、全国各地、世界各地の窯業界で広く活躍されているそうです。

 その後、伊万里市議会を訪ね、伊万里市が取組んでいる『テレビ消し 早寝 早起き 朝ごはん』の食育事業について、お話を伺いました。
 伊万里市食のまちづくり宣言の中に『私達のまちを訪れてくれる多くの方たちに質の良い料理を提供し、食の器のすばらしさにも触れてもらい、伊万里の名を高めるよう努めます。』と言うのがありますが、伊万里市は有田町と同様、焼物のまちであります。まちづくりのあらゆる部分で、まちの財産である『陶磁器』を通して、総合的に展開されています。財産を市民で共有することにより、より価値を高められています。財産の使い方を見習わなければなりません。

 古伊万里と伊万里焼 
 古伊万里:江戸時代、肥前地区で焼かれた磁器は、伊万里港から積み出され、国内はもちろん、遠くヨーロッパまで運ばれました。これにより伊万里が焼物の代名詞となり、これらの焼物の総称が「古伊万里」と呼ばれています。
 鍋島(伊万里焼):1675年佐賀鍋島藩は藩窯を有田から大川内山へ移し、その入口には関所を設けるなどし、高い品質の保持と技法の維持に努めました。藩窯の職人たちは、大名や将軍家、朝廷に献上する品々を明治時代まで焼き続けました。今では、それらの焼物は「鍋島」と呼ばれ、その技法を受け継いだ窯元群があるのが、大川内山で、現在の伊万里焼の中心になっています。

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【佐賀県立九州陶磁文化館】           【蒲原コレクション】

 

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