初秋
皆さん、今日は。
秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる(藤原敏行 古今集)
まさしく今朝は、この歌の通りでした。篠山の夏を彩る「デカンショ祭り」。それが終わると、篠山は静けさの中、秋の訪れを感じます。
心配されていた天候にもなんとか恵まれ(特に16日は、奇跡的)、昨日で「デカンショ祭り」は、大盛況のうちに終わりました。
今年も多くの皆さんに、楽しんで頂いたと思います。しかし、観客数〇万人と、例年発表されますが、この数字がなかなか……。こう言った数字の積み重ねが年間300万人と言う、篠山の観光客数になり、兵庫県の観光客数に反映されております。
施策の基準にもなる数字ですから、より精度の高い数字を把握できるよう、調査費を使わせて頂き、観光協会さんや関西学院大学さんに調査を依頼しています。今年のデカンショ祭りも調査して頂いておりますので、あがってくる数字が楽しみです。
デカンショ祭りは、篠山の他のイベントに比べても若い人の姿が多いです。しかし、毎年のことですが、祭りが終わった後、二十歳前後の若者が道に座り込んで、大声で宴会をはじめ、食べ残しのゴミなどを平気でそのままにしている姿には、がっかりします。が、その様な行動をして存在を誇示しなければならない、彼らの『寂』『悲』オーラも感じます。
海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大皇の辺にこそ死なめ 顧みはせじ(大伴家持 万葉集)
15日は、全国戦没者追悼式に伴い、篠山市遺族会の皆さんと一緒に、沢田の遺芳殿に参拝し、戦没された方の御冥福を祈り、追悼の誠を捧げてきました。
人類の歴史は、戦いの歴史でもあります。太古の昔から、数え切れないぐらいの命が戦いで失われてきました。
「生命」を考える時、今、生きている私達一人ひとりの直系の祖先は、この戦いの歴史の中でも、誰一人、子孫を残さずして、命を失った人はいない、即ち、子どもの内に死んだ人は一人としていないと言う事を思います。
生命の発生以来、40億年。累々の犠牲のもとに、今の「命」が守られた、と言う事を考える日であってほしいと思います。