友県沖縄訪問 その1
皆さん、こんにちは。
10日から本日まで、県議会自民党議員団政調理事会メンバーで沖縄県を視察してきました。
今視察では、兵庫県と沖縄県の友愛提携40周年にあたり、その切っ掛けとなった、兵庫県出身、最後の沖縄県官選知事 島田叡 元沖縄県知事の遺徳をしのぶとともに、本県と沖縄県の更なる友好親善の促進を図り、更には、現在の緊迫する国際情勢における沖縄県の現状調査等々を目的としました。
2泊3日で、かなり内容の濃い視察でしたので、このブログもたぶん長編になると思います。
で、数回に分けて書かせていただきます。
まず最初に、皆さんに是非とも知っていただきたい、島田叡 元沖縄県知事について書かせていただきます。
島田叡 元沖縄県知事は、米軍上陸直前の極めて戦局厳しい昭和20年1月、前任者が本土出張を口実に逃げ帰った(沖縄県民の大多数がそう思っている〈沖縄県民談〉)後、誰もが躊躇したその職(当時は官選知事)に、「誰かが、どうしても行かなければならないとあらば、言われた俺が断るわけにはいかん。俺は死にたくないから、誰か代わりに行って死んでくれ、とは言えん。」と、周囲を諭し死を覚悟して沖縄県知事に就任されました。
就任直後から、極めて不利な状況下でも県民の安全や食糧確保のため知事としての職務を果たそうとされたようです。
然しながら、米軍の上陸を受け、県庁機能等も壕に移し、さらにはその壕も戦況により移動を繰り返すという状況下での執務。
ついには、昭和20年6月9日、摩文仁の壕で最後まで同行した県職員・警察官に対し、「どうか命を永らえて欲しい」と訓示した後、県及び警察組織の解散を命じ、自らも数日後、壕を出たきり消息を絶たれたそうです。
島田知事の仕事ぶりや人柄等々については、生き残った人々によって伝えられ、まさに遺徳として沖縄の人々の心に残っています。
昭和26年には、沖縄県民の浄財により、最後の県庁と言われた壕がある摩文仁の丘に、島田知事はじめ死亡した県職員453名の慰霊碑「島守の塔」が建立されています。
今回私達の視察では、 元沖縄県副知事 嘉数昇明 さんはじめ「(財)島守の会」の方々のご尽力により、普段入ることのできない那覇市内にある県庁壕の一つ「シッポウジヌガマ」と呼ばれる壕で調査を行うことができました。
その壕は、沖縄独特のお墓 『亀甲墓』が並ぶ霊園の中にあり、墓の間をすり抜け壕の中に入っていきます。
木の根もとにらせん状の石を削った狭い階段があり、2mほど下ると壕の入り口があります。
湿度も高く、蚊も多い。まして、懐中電灯なしでは真っ暗闇。
ハブの危険もあると言われながら、必要最低限の装備で調査開始。
内部の広さは、100㎡程、高さは場所によってまちまちですが、大方は私がやっと立てる程度。
この中で・・・・
昭和20年4月27日、雨のように砲弾が降り注ぐ中、県内の17市町村長がこの壕に集合し、最後の市町村長会議が開かれました。
絶望的な状況下で、いったいどんな議題が話されたのでしょうか・・・。
右の写真は、島田知事の執務室だったところです。
献花をさせていただきました。
壕の中央には、大きな鍾乳石があり、奥に深く伸びています。
壕の中には、カマドの跡や井戸などが見つかっています。
「“激しい地上戦が起きれば、行政は国民の生命や財産を守れない”と言うことを、この壕は教えてくれる」
と、案内をしていただいた 『島守の会』の方が話されていました。
元沖縄県副知事 嘉数昇明 さん(私の隣)
『島守の会』有志の方々が、年内にも島田知事の遺骨捜索を始められるとのこと。
この件については、私達が出発する日の朝、神戸新聞に掲載されておりました。
また、この度の調査の様子は、沖縄タイムスで翌日報道されました。
この11月上旬には、沖縄で兵庫・沖縄友愛提携40周年記念植樹が行われます。
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